07:猫に「またね!」って言ってもらいたい
※注意!
猫の死について触れてる記事です。
読みたくない方は、回れ右!
石塚夢見さんの『またね!』読みました。
Yahooブックストアの無料コーナーで読んだ作品。
猫との別れがテーマの、1作品6ページの短編集。
巻数が書いてなくって1冊だけの作品かと思っていたのですが、続きも出ているようです。
実は、わたくし、先月猫を亡くしたばかりなのです。
それでこんな漫画を読むもんだから、仕事の合間に読んでは泣き、電車で読んでは泣き、寝る前にベッドの中で読んでは泣き…
読み終わるまで数日かかってしまった。
それでもどうしても読みたかった、読み切りたかった。
別に、これを読んだから供養になるってわけでもないけども。。。
作品のほとんどが猫視点で描かれている。
どの猫も純粋に飼い主を慕っていて、どの子も愛おしくなる。
飼い猫を亡くしたばっかりだからかな。
やっぱり猫を見送る話がやっぱり印象的だった。
いくつかストーリーをピックアップして書こうと思ったけど
ううう…ストーリー要約するだけで涙が…(´;ω;`)
この作品は本当に…飼い主のエゴの塊だ。
こんな風に猫に愛されていたい、こんな風に感謝されていたい。
そういう飼い主の願望が描かれている。
実際、飼い猫が飼い主にこれだけの愛情を持っているかなんて、わかんない。
別の生物だしね。愛の感覚も違うもんね。
でも、そう思われてたいんだよね。その気持ち、すごくよく分かる。
私の実家の飼い猫は、私が少し目を離した隙に亡くなってしまった。
私はその日、母から猫の様子がおかしいと聞いて、仕事ほっぽり出して実家に行ったのです。
で、病院に連れて行く準備をするために、ちょっと猫のそばを離れた数分の間に、猫は逝ってしまった。
私は、猫の亡骸を見るその瞬間まで、今日猫が死んでしまうなんて、1mmも思っていなかった。
もう自力で立ち上がることも出来ず、ガクガク痙攣している猫を見ていたのに、病院に行けば大丈夫だと、信じきっていた。
もしかしたら、介護が必要になるかな?そうしたら私、実家に戻ろう。そんなこと考えてた。
いや、多分ね、薄々は分かってたのかもしれない。
でも敢えて考えまいとしてたのかな。
自分でも、よく分からない。
最初はね、痙攣が治まった!良かった!って思ったんだ。
でも、目を見た瞬間、そうじゃないってわかった。
生きてる時と死んでる時とで、目ってあんなに変わっちゃうんだね。
よく「もう何も映さない瞳」なんて言ったりするけど、まさにそれ。
猫の汚物にまみれながら、もう動かない猫にすがりついて、ワンワン泣いた。
力なく、重力に従うだけの、抜け殻の感触が、まだ手のひらに残ってる。
多分、この先この感覚は一生消えない。
病院なんか連れて行こうとせずに、ずっとそばにいればよかった。
触れられたらイヤかな?なんて思わずに、ずっと撫でていればよかった。
どんなにイヤがっても、ギュってしてチューしてスリスリすればよかった。
今日が最後だって、最期だって知っていたら、ギューってして離さなかったのに。
猫のためじゃなく、自分のために。
この『またね!』という作品で、作中の猫たちの
自分を責めないで
後悔しないで
泣かないで
ありがとう
大好きだった
っていうモノローグを見て
うちの猫も、そう思ってくれていたらいいなって、思った。
それは、私が、亡くなった飼い猫に言ってもらいたいって思ってる言葉、そのまんまだった。
だから本当に飼い主のエゴ。
自分が救われたいために、私はこの作品を読んだのだと思う。
自分の後悔と罪悪感を和らげるために。
情けない飼い主で、本当にごめん。
でも、私はまた飼い主になりたいよ。
また見送ることになるのだけども
それでも飼い主になりたい。
だからタイトルは『またね!』なんだね。
また、会いたいから。次も、あなたの飼い主にして欲しいから。
最後にうちの天使ちゃんの写真をば。
モデル級とはいかないけどねー。
読者モデル級には可愛いと思うのよね!